11月1日は「紅茶の日」 – 知っていたらかっこいい?!さまざまな紅茶史

2018年11月1日

本日11月1日は、日本紅茶協会が1983年(昭和58年)に定めた『紅茶の日』です。

紅茶を扱う専門店では、さまざまなキャンペーン等を展開していますね。

その紅茶の日の由来は以下のようになります。

海難にあってロシアに漂着した日本人、伊勢の国(現在の三重県)の船主、大黒屋光太夫他2名は、ロシアに10年間滞在せざるを得なかった。

帰国の許可を得るまでの辛苦の生活のなかで、ロシアの上流社会に普及しつつあったお茶会に招かれる幸運に恵まれた。とりわけ1791年の11月には女帝エカテリーナ2世にも接見の栄に浴し、茶会にも招かれたと考えられている。

そこから、大黒屋光太夫が日本人として初めて外国での正式の茶会で紅茶を飲んだ最初の人として、この日が定められた。
日本紅茶協会HPより

1790年頃というと、鎖国真っただ中ですね。

当時オランダとの貿易があったとはいえ、お茶に関する歴史を紐解くと、いろいろな出来事がたくさんあるんですね

喫茶文化はオランダからのはじまりとされていたり、ボストンティーパーティーといった事件など、ひとえに紅茶といえど歴史は様々です。

そんな様々な紅茶の歴史は、ひけらかす知識ではなく、さらっと知っている知識として頭の中に入れておくと、どこかで使えるかもしれません。

紅茶の歴史

コーヒーハウスで有名な『ギャラウェイ』が茶を売り出す

オランダからイギリスに持ち込まれた茶は、ロンドンで流行り始めていたコーヒーハウスに置かれました。

コーヒーハウスというのは、17世紀半ばから18世紀にかけ、イギリスで流行した喫茶店のことです。社交場としても大きな社会的役割を果したといわれています。

オックスフォードで1650年に開かれていて、ユダヤ人が二日酔いを醒ます特効薬としてコーヒーを売り出したのがはじまりとされているようで、これが各地に広まって、弁護士、医者、学者、官吏(役人)、商人といった中流階級以上の男性が集まり、さまざまな情報交換(社交場としても兼ねて)の場になりました。

そして1657年、トーマス・ギャラウェイというコーヒーハウス「ギャラウェイ」の経営者が最初に茶を売り出しました。ちなみに、店で茶を飲ませたのもギャラウェイが最初ともいわれています。

当時の価格は、量1ポンドあたり6~10ポンド、1ポンドの量はおよそ454グラム、6~10ポンドの値段は今でいえば6~10万円です。

現代では、茶葉50グラムで600円から1200円程度で個人で買えることを考えれば、当時の価値は相当なものだということがよくわかります。

さて、そのギャラウェイですが、売り方が少し変わっていました。

茶というと、味や香りがまず最初に売り文句として押し出しそうなところを、茶の効用をポスターにして宣伝をはじめました。

ユダヤ人が二日酔いを醒ます特効薬としてコーヒーを売り出したことを考えれば、なるほどなと思うところがあります。

宣伝内容は、東洋の茶は高価であることや、飲めば健康維持され、長生きするとまでうたわれていたようです。

また、頭痛、不眠、胃腸不良、記憶喪失、下痢、悪夢、腹痛予防、ミルクと一緒に飲んで肺病予防にもなり、万病に効果があると紹介されていました。

まぁ今と昔では価値観も情報量も全く異なる次元だったとはいえ、今では考えられないような根拠の無いことまで宣伝されていますね(笑)

なお、当時は紅茶ではなく、中国の緑茶が飲まれていたようです。

まとめ
・17世紀半ばにコーヒーハウス『ギャラウェイ』が最初に茶を販売
(当時はまだ緑茶)
・当時は500グラムいかないくらいで10万円という高級品
・(宣伝文句として)万病に効果があることをうたって販売

トワイニング

トワイニング

トワイニングというと、英国最古であり、現在まで続いている老舗の紅茶メーカーです。

貴族社会はもちろん、中流、庶民へ茶を普及させたことで、トワイニングが紅茶の歴史そのものだとも言われています。

創立者のトーマス・トワイニングは、1675年に生まれ、12歳のときにロンドンに移り、市民権を得て、東インド会社に勤めることになります。

中国の茶に将来性を見出して、1706年(当時31歳)に独立してトムというコーヒーハウスを出します。

そこから隣家も手に入れて、雑貨品とともに茶の卸売りと小売りを主体に、トワイニングの紅茶の基礎が確立されていきます。

1715年当時の台帳にコーヒーと茶の売り上げの金額が記録されていて、コーヒーの売り上げ総量3291ポンド7オンス、金額1393本ポンド1シリングとなっていて、一方の茶についての売り上げ総量3409ポンドで金額が2868ポンド6シリングになっています。

つまり、量はそれほど違いが無いにもかかわらず、茶の売り上げが倍にもなっていることから、茶がどれほどのものだったかというのは言うまでもありませんね。

まとめ
・トワイニングはイギリス最古の紅茶会社且つ紅茶の歴史そのもの
・創立者はトーマストワイニング
・当時の台帳から、コーヒーとの売り上げ(価値)は倍高い

東インド会社

東インド会社という名前だけでも聞いたことがあると思います。
(学校の歴史の授業でも確か出てきたのでは・・?)

イギリス、オランダ、フランスがそれぞれ設立した貿易会社です。

とりわけ、イギリス東インド会社はオランダにさきがけ、1600年の12月31日にエリザベス一世の認定を受けて誕生しました。

本拠地はインドで、オランダもイギリスも、当初はスパイスや繊維品をメインに取り扱っていて、1669年にようやく茶の記録が現れます。

本格的な茶の買い付けが始まったのは1680年代に入ってからですが、オランダの東インド会社は、1637年に中国から定期的に茶を買い付けていたそうです。

意外にもイギリスは50年近く茶の買い付けが遅れていたんですね。

また、イギリスが中国と直接茶貿易をはじめたのは1717年からで、それまでは中国船やオランダ船の茶を買い付けていました。

18世紀はじめごろ、東インド会社が輸入していた茶はシングロという緑茶が全体の3分の2を占めていて、残りは高級な緑茶、紅茶はなんと10分の1程度でしたが、18世紀半ばには圧倒的に紅茶の割合が逆転しました。

しかし、次第にイギリス東インド会社の紅茶の輸入に占める割合が独占的になっていき、輸入した紅茶に関税がかけられて、消費税の増大と比例して税金額もエスカレートしていきました。

まとめ
・東インド会社は、イギリス、オランダ、フランスがそれぞれ設立した会社
・イギリス東インド会社は、最初は中国船やオランダ船が運んできた茶を買い付けていた
・イギリスが直接中国と茶貿易をはじめてから、税金が次第にあがっていった

茶税引き下げを直訴した4代目トワイニング

トワイニングの4代目であるリチャードの時代は、紅茶への課税率が最も高かったそうです。

1750年代、売り上げの44パーセントに課税され、さらに1ポンドにつき1シリングが加算されています。

1773年には税率が63パーセントにもなり、まるで税金を飲まされているようだと多くの人が噂したそうです。

安い密輸品、粗悪で偽物の紅茶にも手をだしていた人もいたそうです。

そういった状況もあり、”税金を高くして密輸に走られるよりも、税金を安くして正規の紅茶を売る方が税収は増える”と、政府に命懸けで直訴したが、4代目トワイニングのリチャードでした。

当時の首相はこの直訴を受け入れ、減税後は紅茶の消費量がおよそ3倍にも増えています。

トワイニングが成長するのもこの時期(178年代後半)からだったそうです。

トワイニング家の家訓「茶は人々に買っていただくため、人々のためにある」が、リチャードを動かしたようです。

ちなみに、時代が時代だけに、直訴が退けられて失敗していれば、処刑されていた可能性が大いにあるかもしれません。

もしこの時処刑されていたら、紅茶の歴史もまた変わっていたかもしれませんね。

まとめ
・4代目トワイニングのリチャードの時代、紅茶への課税が一番高かった
・リチャードの減税直訴がトワイニングそのものを成長させた

紅茶の日ということで

とまぁいろいろと歴史がある中で、前述で紹介したのはまだまだ一部です。

また別の機会に他の歴史や出来事を記事にできればと思います。

さぁ、紅茶の日ということなので、少しばかりお菓子を多めに、あえて同色系に寄せたメンズなティータイムを楽しみます。

紅茶の日 2018 ティータイム

紅茶が好きなみなさんも、素敵なティータイムを。