【紅茶のこと】ヒストリー – ボストン・ティーパーティーとは?

2018年10月5日

ボストン・ティーパーティー(ボストン茶会事件)』とは一体何なんでしょうか?

ボストンは、アメリカの東海岸側マサチューセッツ州にある都市、ティーパーティーはお茶会的な感じでしょうか(笑)

単語だけを見ればそんな感じで、聞いたことはあるものの、詳しい内容などは全く知りませんが、紅茶史における有名な出来事の一つをひも解いてみます。

紅茶

ボストン・ティーパーティーの概要

ボストン茶会事件は、、1773年12月16日、マサチューセッツ植民地(現アメリカ合衆国マサチューセッツ州)のボストンにて、イギリス本国議会の植民地政策に憤慨した植民地人の急進派が、港に停泊中の貨物輸送船に侵入し、イギリス東インド会社の船荷である紅茶箱を海に投棄した事件です。

当時、アメリカが輸入する紅茶は、イギリス東インド会社によって運搬されていて、それには重税が課せられていました。

戦費捻出のために、イギリス議会が紅茶の税制を何度も改定して、つど高くなっていたそうです。

しかし、輸入する側であるアメリカ植民地住民は、イギリスの紅茶ではなく、オランダの安い紅茶を密輸します。

当然そうなると税収は増えなくなります。

そこで、1765年に「印紙条令」という新しい課税制度を押し付けましたが、これがイギリスの商品に対するボイコットの始まりとなってしまい、翌年に条令は撤回されたものの、アメリカ人の怒りは鎮まりませんでした。

ところがイギリスは、1773年に「茶条令」なる無理矢理にでも茶を取引させる条令で、オランダからの密輸を食い止めようとしましたが、これに反発したアメリカは、同年12月にボストン港に停泊していた船に乗り込んで、茶箱を海に投げ捨てるという事件が起こったのが、ボストン茶会事件です。

両社の度重なるせめぎあいが、じわじわと募り、とうとう爆発したという感じですね。

茶箱を海に投げ捨てるとうやり方は、現代においてもボイコットによる怒りの表現としてありそうです。

アメリカ独立への道

北アメリカの植民地でも、オランダ系移民がニューアムステルダムで茶を広めており、イギリスが1674年にオランダからその地を奪って、ニューヨークと改名したころ、紅茶はかなり流行っていたようです。

紅茶用の水まで売られていたので、消費量は純粋に多かったとうかがえます。

そんな中で課税も理解できないわけでもないですが、それほど単純なものでもないのでしょう。

実際に事件を起こしたのは、サミュエル・アダムズという指導者、政治家、著作家、政治哲学者といった肩書を多く持つ人物を中心とした自由の息子達という組織で、北米13植民地の愛国急進派の通称だそうですが、当時。植民地の貿易全体の独占や本国の課税権が焦点であるにも拘らず、密輸品に比して茶税の課税後でも安価な東インド会社の茶が販売されたなら、課税権を容認することになるのでは、という懸念を持っていたようです。

この時点でイギリス本国からの独立ではなかった事だったそうですが、事件そのものは独立戦争、そしてアメリカ独立へとつながっていきました。

何気なく飲んで、楽しんでいるお茶ですが、掘り下げてみると様々な歴史の表情がみえてきますね。

大国アメリカの独立にまさか紅茶が関連しているとは思いませんでした。

紅茶にまつわる歴史は様々です。

かいつまんでこれからも記事にしていこうと思います。